2021年8月12日木曜日

記録として、、、


お盆も近いので、義父の家を訪ねた。

うら庭にあるお茶室
かつて仕舞い、謡、華道、茶道と忙しい日々を過ごしていた今は亡き義母の大切なお茶室。母の辞書には「面倒」という言葉がなかったほど何事も常に努力の人だった。華奢で美しかった母のどこにそんなエネルギーがあったのだろうと思うほど、いつも溌剌としていた。たまに何かでちょっとした失敗があった時には私にさえも少女のように恥ずかしそうな表情を見せる事があった。初孫のmさんが誕生した時にはとても喜んで、どこへでも連れ歩くほど可愛がってくれたものだ。その義母も遠い空の向こうに行っていつの間にか24年になる。

「凌雲」は祖父の釜屋の屋号
このお茶室は釜師だった義母の父、つまりミケッレさんの祖父が娘のために建てたお茶室。当初、地元の大工さんにお願いしたら思うようにいかず、けっきょく京都から大工さんを呼び寄せ、約3ヶ月かかって建てたそうだ。その祖父は、まだこの地に茶道が普及していない頃、釜師としてお茶の嗜みが必要であることを痛感し、その後お茶を学び、全国に置かれている表千家の「お茶の会」の地方支部を立ち上げる発起人の一人として尽力し、牽引した人だったと聞いた。


お茶室で行われた夏の朝茶、冬の夜咄などは本当に楽しいものだった。
ここで何度かお点前をさせてもらえたことが今も懐かしく思い出される。

型にはまらない自由な発想を持っていた母は、クリスマスの頃にはお軸の代わりに
床まで付くくらい長いリボンのクリスマスリースを床の間に飾った。
その演出が不思議なほど違和感がなく「洋」の床の間として素敵な空間になったのだ。

時には子供達もここでお茶をいただく事があり、それぞれがロウソクに火を灯しながら
庭を通り抜けてお茶室に入るのはとてもワクワクしたようで、
今もその時の子供達の楽しそうな顔が目に浮かぶ。
そして、にじり口から順番に茶室に入り、ちゃんと正座をして
美味しいお菓子とお茶をいただいたことが
子供達の楽しい幼児体験として脳裏に焼き付いているようだ。

茶室から庭を臨む
このお茶室が使われなくなって久しいが、ここに座ると義母から教わった言葉の一つ一つが後ろから聞こえてくるようで懐かしさとともに温かい気持ちになる。お抹茶をかき混ぜる時の『クルクル、トン、、、』と母の声が聞こえるよう、、

祖父製作の利休蔵
どこか祖父自身に似ている気がする、、、

水屋に掛かっていた義母の字で書かれた茶会記
なつかしい字!


この日の昼下がり、義父とここに座り、羊羹とお茶をいただきながら
おしゃべりした束の間のひととき、ホッとする心地良い時間を過ごしました。


八幡宮でのお茶会のスナップ
(義母と小学1年生のmさん)

子供達に忘れないでいて欲しい、、、
お茶室での想い出を

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