2014年4月2日水曜日

ココアの思い出

幼い頃、当時、田舎では珍しい子供の服などを扱うお店をしていた母は、年に数回、子供服の仕入れのために東京の馬喰町にあった問屋街へ行っていた。その頃、汽車で12、3時間はかかっていたと思う。冬は足元から熱いくらいの暖房が効いて気持ち良くてぐっすり寝て行ったように思うが、夏は今のようにクーラーがなく、天井の扇風機と窓を開けて外の風を入れたりした。トンネルにさしかかると『ポーッ』とトンネルに入る合図の汽笛で急いで窓を閉めた。閉めないと油煙が入ってきて顔がススで黒くなるし、目に入ったりすると涙が出る。汽笛がなる度に窓をあけたり閉めたりした。また、どこの駅か分からないけれど、四角い土瓶に入ったお茶と駅弁を買った記憶がある。

車中、母は幼い私を飽きさせないように ” しりとり ” したり、”トランプ ” をしたり、時には甘い匂いのするちり紙(ティッシュとは言わない)を4等分の長方形に切って、角をくるっと丸めてバラの花びらを何枚も作り互い違いに重ねてバラの花を作ってくれたりもした。懐かしい記憶だ。子供にせがまれての旅は母にとってまだ若かったとはいえ結構大変だったと思う。

馬喰町に着いてからはあちこち問屋を回る母に、迷子にならないよう必死に着いて歩いたことを覚えている。そうしてにぎやかな問屋街の中で私が行きたかったお目当ての問屋さんがあったのだ。「ピ○チオ」、今もあるだろうか?靴を脱いで入ると広い畳敷きの部屋で壁一面が棚になっていて、ビニールに入ったセーターやブラウスなどの服がたくさん陳列してあった。今でもそのビニールで満たされた部屋の匂いが懐かしく思い出される。

ココアを飲むと思い出す

この問屋さんは幼いわたしにとってとても楽しみなことがあった。ここの店のおじさんが、まだ小学校に上がる前の私に細長い蓋付きの湯のみ茶碗にココアを入れて(この組み合わせがなんとも昭和っぽい)しかもお茶托にのせて出して下さった。蓋をとるとココアのいい匂い!まだ田舎では日常的にココアなんて飲んだことがなく、母が仕入れで寄るこの問屋さんで頂いたのが初めてだった。幼い私を丁寧にもてなしてくれたことが子供ながらに嬉しく幼児体験として今でもはっきり脳裏に焼き付いている。母が品物を選んでいる間、私はそのココアを少しづつ飲みながら待っていた。

仕入れが終わると、近くの『埼玉屋」で食事をしてお腹を満たし、その頃まだ路面電車が走っていた銀座へ出て、母が言うには今は誰でも気軽に入れるようになったけれど、昔は敷居が高い感じのしたという「○光」や、今はもう無くなってしまった和装小物の「白○丹」や「く○や」へ連れて行かれたりした。(ほとんど覚えてはいないが、、)その頃、母はそれほど余裕のある生活をしていた訳ではなかったと思うが、着道楽でたまに日本橋三越であつらえた着物を来ていたりした。銀座でのもう一つの楽しみは、たまに連れて行ってもらう数寄屋橋近くにある「不○屋レストラン」での食事。何を食べたかあんまり覚えていないが、お店ではペコちゃんの箱入りミルキーを買ってもらうのも楽しみだった。

いま銀座は昔とずいぶん変わってしまって思い出のお店も少なくなり、道行く人も変わりどこもどこも普通になってちょっとつまらなくなった。


帰りの汽車ではいつも決まって、冷凍みかんにゆで卵、アイスクリームだった。汽車の中でたべるアイスクリームは美味しくて格別の味がした。このごろ昔のことを良く思い出すようになったのは、年のせいかしら〜。




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