2013年3月14日木曜日

ちょっとさびしい話

昨日、ちょっとさびしいナーと思うことがあった。それはネコのこと。

その前に、ネコの歴史を、、、。
もともと猫は病原菌を広めたりするネズミを退治するため、放し飼いにすることが推奨されたのだけれど、今ではネズミが広めるペストなどの病気がなくなってきたために放し飼いにする理由がなくなって、ペットとして家の中で飼うようになった。


さて、昨年夏 飼っていたネコが亡くなってから我が家の庭に、ノラネコがチラホラ来るようになった。どうやら向かい側の空き家が住み家のようだ。ノラネコ達の生活はとても過酷でこの冬も必死で寒さにも耐えていた。この頃やっと春らしくなってきて、ネコちゃん達の行動も活発になり、このままだと今度はすこしづつネコの数も増えていって、ネコにとっても人間にとってもあまりいい事ではないと思った。


最近、私の住む街でもネコの命を尊重しながら、ネコを減らす「地域ネコ活動」が広がっている。(ハズ!なのだが)「市地域ネコモデル事業」として町内会単位で申請を受付、認定されるとメス猫一匹に1万円まで不妊手術費用を助成するということ。そうする事で、子猫が生まれないでネコが増えず、年月の経過とともにネコが減って行く事になるのだ。昨日、思い切って、町内に提案してみたけれど、理解が得られず、あっさり却下。

ビックリした事は駆除は出来ないけれどそういう施設に持っていく。えさをあげない事で餓死するか。ええっ!飼わない以上、無責任に食べ物をあげるのはよくないとしても、駆除や餓死の言葉が突いて出たことにとても驚き、さびしい思いがした。

わたしはペットショップの狭い狭いガラスの箱に入って売られている犬やネコを見るのさえ、時々辛くなるときがある。ペットショップってどうなんでしょう?いつも思う。イギリス等の国では犬やネコを飼う場合、欲しい人が『飼ってもいい資格がある人間かどうか』のテストをして、許可されたとき初めてブリーダーから譲ってもらうのだと聞いた事がある。いわゆるペットとしてではなく動物を家族の一員として、一個の命としての考えが、当たり前の事だけれどちゃんと確立している。

先日、イタリアやメキシコでノラネコに食事を与えている人々にイ ンタビューしている映像をみた。街の人たちがネコに食事を与え、不妊去勢手術をし、これ以上ネコが増えないように、ネコ好きの人も苦手な人も協力し合って面倒を見、人とネコが共存できるように上手に付き合っている風景が何とも羨ましく思えた。

いつの日か、私たちの住むこの国も「動物の命」にたいしてもうちょっとデリケートに考えられる日が来るといいなーと思う。


                                 中華も美味しかったし、ケーキもね! thank  you !


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