2021年11月29日月曜日

冬仕度

あら?

気づかなかった。サンルームの窓から咲きかけの
グラハムトーマスが見えた。


今年はもう終わったと思っていたから、嬉しい!
しかもこんなに綺麗な姿で、このまま数日楽しんだら、切って家の中で楽しもうかな?

冬に備えてハンギングや鉢などを中に入れてデッキもスッキリ。

今年2度目の落ち葉拾い、これで庭の冬仕度も完了!

今年のクリスマスコンサートは今までほとんどしなかった子供達とピアノ連弾やチェロの二重奏、短いソロも、、、出ずっぱりになるが、そのイメージがつかめない。どうなることか、、、、ちょっとドキドキ!頑張ろう。

音楽科のある地方の高校にピアノ科で入学した私は、副科の合奏でヴァイオリンを弾いていた。入学当初はピアノ専攻で進むつもりだったが、しばらくして合奏でヴァイオリンの向かい側で弾いているチェロの音色に惹かれるようになった。文明堂というレコード店でアントニオ・ヤニグロの小品の入ったドーナツ盤のレコードを買い、その頃、下宿先の敷地の小屋にアップライトピアノとポータブルレコードプレーヤーを置いて練習していた先輩から、先輩の使わない夜の遅い時間に小屋を借りてレコードをかけてなんども聴いたものだった。裸電球ひとつの薄暗い小屋で小さなプレーヤーに耳を傾けて聴いたヤニグロのチェロはふくよかで哀愁のある音色だった。

その後しばらく経って、副科でとっていたヴァイオリンをチェロに変えると、ますますチェロの魅力にハマってしまったのだ。悩んだ末、チェロの先生に相談。今から半世紀以上も前の話、その頃たった一人、チェロを専攻する先輩がいたが、今と違ってチェロを弾く人は本当に珍しかった。すると先生は『手を見せてごらん』と言われ、大丈夫そうだけど、ただ、今からチェロ専攻で音大受験をするには時間がないからまず無理だと、、、、教育音楽という手もあったが、私の性格からチェロ専攻にこだわってしまった。その頃の地方に住む女の子の浪人はあまり考えられなかったし、浪人を許してくれる家庭でもなかったから、受け入れてくれるところがあればどこでも良いと、名前にはこだわらず関東圏内のある短期大学を受験することになった。新設 3 年目で歴史の浅いその短大は某有名音楽大学の先生が指導すると言うキャッチフレーズの触れ込みだったが、その触れ込み通り、本当に素晴らしい先生たちがたくさんいらした。受験まで高校の先生の口添えで東京の仙川にある I 先生のお宅で何度かレッスンをしていただくことになった。レッスン前日、急行の夜行寝台列車2人分の切符をとり、上段にチェロ寝かせ、私は下段に寝て通った。

 短大の卒業演奏会でのスナップ
今から約半世紀前 ヒャ〜!

私の人生が変わった瞬間だった。入学試験当日、目の前に先生たちが並ぶ中、真ん中に I 先生が座っていらしたことでホッとしたことを覚えている。入学してから先生はレッスンが終わると時々小品を弾いて聴かせてくださることもあり、優しい先生だった。2年になると先生は短大に来なくなり、その後、何年か経って先生が他界されたことをニュースで知った。葬儀が行われたカザルスホールでは先生ご自身の演奏の「鳥の歌」がホールに静かに流されていたのが印象に残っている。余談になるが、先生のご子息は音大の作曲科を卒業後、クラシックではなくアレンジャーとして寺尾聡のバックキーボードを担当したり、作曲家としても活躍している。

二人目に教わった先生はクレンゲルの弟子のフォイヤマンからレッスンを受けた事のある先生だった。夏休みなど祐天寺の先生のお宅でのレッスンは先生が散歩がてら祐天寺の小さな駅まで迎えに出てくださることがあった。いつも改札を出ないで内側(ホーム)で待つようにと言われたが、一度気を利かせたつもりで改札を出たところで待っていたら、叱られたことがあった。先生は幼い子供を扱うように『どうして勝手に改札を出たんだ』と言われ戸惑ったことがあった。いまだになぜ改札の内側なのかわからない。先生の家まで一緒に歩きながら、子犬を見つけると、優しく話しかける先生の様子に先生の人間的な一面を見た気がした。

土壁の古いお宅の二階にある合奏ができるくらいの板の間の広いレッスン室。部屋の隅にアップライトのピアノと反対側に先生の机があるだけ。今でもその机に置かれた鉛筆立てに使っていらしたイズミヤのクッキーの缶が記憶に残っている。レッスンが終わると先生の奥様がカステラを出してくださるのが楽しみだった。卒業演奏会では、演奏が終わると舞台の袖にいらした先生が、笑顔で真っ先に拍手してくださったことが本当に嬉しい出来事だった。卒業後は研究科に一年残り、先生のレッスンを受けた。いろんな思い出があるが、あの頃は私にとって本当に貴重ないい時間を過ごしたと思っている。

あの人生が変わった瞬間、チェロを選択したことでミケッレさんに出会えたし、子供たちにも会えたことになる。そして一緒に音楽をしてくれる仲間にも出会えたことが私の大切な財産になっている。蘇る記憶を徒然なるままに〜

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