2015年6月26日金曜日

好きなもの No.8


ポプリを入れて

昔、シカゴ郊外のクラレンドンヒルズの小さな小さなアンティークのお店で見つけた器。私たちの住んでいたアパートメントからクラレンドンヒルズ駅方向に踏切を渡って歩いて20分くらいのところにちょっとした商店街があった。おもちゃ屋さん、雑貨屋さん、床屋さん、食料品スーパーなど昔からそこにあったようお店が10数軒もあったろうか?その並びに小さなアンティークのお店があった。オーナーと思われる70過ぎくらいのおばあちゃまが一人、お店のカウンターに座ってお店番をしていた。背すじをピンと伸ばし、セミショートの品の良いウェーブがかかったグレーの髪でメガネをかけ、人なつっこい顔であれこれ品物の説明をしてくれた。初めはミケッレさんに連れて行ったもらったが、どうしても『自由にならない、自由になりたい』私は、次からは思い切って辞書を片手に一人で出かけた。

レジカウンターの脇に置かれた薄いペパーミントグリーンの地に金色の縁取りと忘れな草のような花が描かれたこの器に目が釘づけになった。この器にはお店の名刺(カード)が入っていたと思う。『これは売り物ですか?』『そうです』『じゃぁ、これください』とドキドキしながら話した覚えがある。オーナーはこの器を包みながら、あなたは日本人なの?この頃、スーツを着た日本人のツァーがここまでゴルフをしに来るのよ。と教えてくれた。(確かそう言っていたと思う)私はふーん、こんな町外れにまで、わざわざゴルフをしに来るんだ。と思った。その頃、日本人といえば、旅行でもスーツを着て必ずと言っていいほどカメラ、ビデオをセットにして携帯して歩いていた。そういえばミケッレさんも、ある時、きょうはカメラは持ってこないの?と同僚のアメリカ人にからかわれたと言っていた。そしてここに住んでいる理由を聞かれ、汗をかきかき、必死に辞書を引きながら説明したことが懐かしい。頷いてくれてはいたけれど、通じていたかどうかはよくわからない。話が横道に逸れてしまったけれど、今、あのお店や商店街はどうなっているかしら?帰り道、この器を大事に大事に抱えて歩いて帰ったあの通りも懐かしい。その後、ときどきこのお店を訪ねるようになり、少しづつアンティークに興味を持つようになった。
思うように会話ができないわたしはお店でこの陶器のことを詳しく聞けなかったれど、アパートメントに戻ってから裏に書かれた印を見て、ウィーンのREONARD 社製で1900年前後に作られたものらしいところまでわかった。どんな人がどんな家に暮らし何に使っていたのか、なぜアメリカに渡ったのか様々に思いを巡らすのはとても楽しいものだ。

小引き出しの上に置いて香りを楽しんでいる。
ポプリ入れにして使っているけれど本当は何に使うものだったのでしょう?


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