先週末、2年ぶりに中軽井沢のはずれにある「ル ヴァン美術館」を訪れた。文化学院を創設した西村伊作さんの設計による校舎を再現したイギリスのコテージ風の建物。
ル ヴァン美術館へのいりぐち
大正時代、当時の堅苦しい女学校の教育に疑問を持ち、ご自分の長女アヤさんを進学させる時、伊作さん自身が望むような教育を受けさせるために自分で学校を創ってしまった。
庭の樹木や芝生が美しい
やさしい色合いの草花が多かった
常に「小さくても善いものを」「高価なものよりも美しいものを」と言う考えを文化学院の教育にも取り入れ、制服で学生を統一して個性をつぶそうとする事に反対して、服装は個人の自由に任せたり、日本で初めて男女共学を実現した人だった。また作曲家の山田耕筰が体操の代わりにこの頃すでに ” リトミック ” を取り入れ指導していた事には驚いた!
クレマチスの絡まる雰囲気のある井戸
実現できるだけの財力があったにしてもその考えを実行に移すってスゴい人だなー!家庭生活をとても大切にして自分が洋風生活をするために建築の勉強をしたり、アメリカから料理や服装の本を取り寄せて、奥さんに実行させたり、、、。
こういう素敵な日本人がいたのですね。
今度はバラの咲く時期に来たいなー!裏庭
朝7時半にジョン・レノンが気に入っていた”フランスベーカリー”でゆっくり朝食を
この時間は軽井沢銀座もまだ人通りが少なくてきもちいい!
旧軽井沢の白糸の滝
朝の早い時間、私たち家族だけでこの景色を満喫!
浅間山からの地下水が数年かかって岩からしみ出し滝となって流れ出ている
苔むした岩肌も軽井沢らしくて好き!
碓氷峠
矢ケ崎川を渡り、旧中山道をしばらく登ると群馬との県境に出る
山から降りてくる霧で辺りの景色が見えない
両手を広げたようにそびえる熊野神社の御神木(しなの木)
初めて見た境内に咲いていたごぼうの花
お天気がよければこんな景色が見られる
( webからお借りしました)
霧の中、少し足を伸ばして車を走らせ北軽井沢の鬼押出しへ
むかし浅間山の噴火で流れ出た溶岩があたり一面に広がっていて圧巻!
金曜日の夜に出発して途中、福島の白河で一泊、翌朝早めに出て軽井沢へ。
8月、9月はどうしても混む時期だけれど、アウトレットや軽井沢銀座などへ行くのでなければ、時間をずらして少し早めに行動すれば、意外にゆっくり、あちこち見て歩く事が出来る。
二十代の頃に読んだサガンの「悲しみよ今日は」の翻訳者が軽井沢と深い関わりのある朝吹登水子さんだった。今から20数年まえにふと本屋さんで目に止まった朝吹さんの「私の軽井沢物語」。大正末期から戦争を経ての軽井沢のようすを記した素晴らしい本だ。落ち込んだり、悲しい時、私にいやな事を忘れさせ、優雅な気分にさせてくれる大切な一冊。だいぶ前に絶版になってしまったのはとても残念!
軽井沢を訪れるようになったのもこの本がきっかけだった。この本が出版されて間もなく、偶然にも朝吹登水子さんに声をかけられた事があった。ちょうど東京の知り合いの方から犬の親戚になりましょう、と子犬のコリー犬を貰い、そのことが縁で「東京都の犬の会」の会員のチャリティパーティが○国ホテルであって出席したときのこと。ミケッレさんの母も一緒でまだ若かった私は、3才の m さんと 1歳の f さんを連れていた。f さんがぐずるのでだっこして廊下に出るとミケッレさんの母が『オンブしなさい』と、、、。わーわーこのホテルでおんぶ〜!いやだったけれど逆らえない。
ジョンと一緒に
ワンピースにおんぶ紐をたすきにして f さんをおんぶしてホテルの廊下をウロウロ。そんな時に限って、限ってである!お手洗いから出ていらしたのが、あの素敵な朝吹登水子さんだった。隠れられない!恥ずかしい、どうしよう! そして一言『あら、たいへんねー!』とこちらを見て犬の会の会場へと消えて行った。それが朝吹さんにお会いした?最初で最後だったのだ。今では懐かしい思い出になっている。そして数年前、軽井沢のタリアセンに朝吹邸が移築され保存された事がなにより嬉しい。 ともあれ人生いろいろ!
この旅で少しは感性が豊かになったかな?
ル ヴァン美術館の庭のやまぼうしの実
ミケッレさん1200キロの旅お疲れさまでした!